くろまめのひとりごと

地方在住くろまめ。1児の母。もうすぐアラフォー。頑張りすぎないをモットーに家事育児してます
捨てられない一族の元で生まれ、捨てられない一族に育てられる。
その後、ミニマリストもどき→シンプルライフ目指す

カテゴリ: わたしのこと


今の自分の暮らしにある程度、満足している。

自分は恵まれているなと感じる。

健康である。家族もいる。友達もいる。趣味もある。仕事もある。

そうすると、些細なことで怒る回数が減った。

イラっとしても、すぐに忘れてしまう。

アラフォーになって、可能性と野心に満ちた若いころよりも、ある程度、今あるもので満足する術を覚えた今の方が、断然、生きやすい。

若い頃は何者かになりたかったけど、何者でなくても、ぜんぜん楽しく生きられる。

昔より、幸せの感度がかなり上がった。

炊き立てご飯にキムチをのせて食べるだけで、幸せホルモンが出ている気がする。

歳を重ねるごとに、だんだん分かってきた。
上を見出したらきりがない。

それに、表面上の「羨ましい」は、実はそんなに羨ましいと思っていないものだ。

もちろん、憧れや、それに向かって努力するというモチベーションもある。

新しい料理にチャレンジしてみる。
新しいエクササイズを試してみる。
ガーデニングで新しい植物を育ててみる。
読んだことのない作家の本を読んでみる。
全く見たことのないジャンルの動画を観てみる。

ささやかな、日々の自分の発見や進歩だけで、割と満足に生きられる。

自分の心が何を欲しているのか、分かってくれば、不必要な欲望を生むノイズを、さらっと受け流せるようになってきた。

だから、些細なことも、ちょっとイラっとすることはあっても、すぐに忘れてしまう。
どうでもよくなる。


イラっとすることがあると、

「そんなことで、ストレスホルモンを出すことないよ。
もっと自分の好きなこと、大事なことに向き合って」

と、自分に言い聞かす。

すると、不思議と怒りのことを忘れて、大事なことと向き合えるような気がする。





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家族や自分の近しい人と価値観が合わない。

そんなことは、昔からでした。

今よりも世界は分断されていて、それぞれの小さな社会でそれぞれの価値観を持って生きてきた時代。

世代も生まれ育った環境も違えば、たとえ同じ遺伝子を半分受け継いでいても、意見は合わないもの。

ましてや他人だった夫婦もそう。

夫と意見や考え方が合わないと思うことが多々ある。

昔は、自分の考え方を分かって欲しくて、相手を言い負かせようと躍起になってた。

でも、今は無理に話し合うよりも、意見は合わないものと思って、放っておく方がいい気がする。

自分と「気の合う」人は、世界中探せばどこかにいる。

本の世界、ネットの掲示板、SNS。

たとえ見ず知らずの人でも、「そうそう、私もそう思うよ」と思える人がいると、ちょっと嬉しくなる。

今、目の前の人と「同じ考え方・意見」にならなくてもいい。

今、目の前にいる人とは、同じ時間、同じ経験をして、異なる感想や意見を持つ。

「こう思う人もいるんだ」「そんな考え方もあるんだ」という新たな発見。

そこに、人間の面白さがあるんだと思う。

同じ意見、同じ考え方の人は、ネットの海で探せばいい。



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だらだらと動画鑑賞していたら、天皇家の人々がメディアに追い回され、どんなに自由のない生活をしているかを紹介している動画があった。

その時、私はよく知りもしないのに、「自由がないって、かわいそうだな」なんて、ふと月並みなことを思った。

けど、ふと考えた。

私は別に天皇家に生まれたことないし、「自分」という人間以外の体験をしようがない。
自分の人生と他人の人生を比べようがない。
自分の感情と、他の人の感情は違う。
他人になり得ないなら、他人の感情を100%理解するなんてあり得ない。
自分の感情ですら100%理解することも難しいのに。

もしかしたら、天皇家の人々は国民に「かわいそう」なんて思われたくないんじゃないか。


メディアの目に余る追撃に晒されて、気の毒だと思ってしまうけど、案外、それ以外の場所では充実した人生を送っているんじゃないかしら。
というか、そうであってほしいと思う。

わかったフリをして、他者を同情する、この気持ちの正体は何なんだろう。

「同情」という感情は、人類にとって、助け合うことに多い役立つ。
けれど、時として、自分の不安を誤魔化すために使われる。

子供がいない人は、「子供がいる人はお金がかかって、自由がなくてかわいそうだ」とか、子供がいる人は、「子供がいない人は子供がいなくてかわいそうだ」とか、月並みな同情心を寄せることがある。

でも、本当は自分の選択は間違っていたかもしれないという不安が微かでもあるから、他人に同情するフリをして、自分を安心させているだけなのかもしれない。

それが、人間の心のバランスをとるための機能だから、不必要なものではない。

だけど、同情心が行き過ぎて、他人を傷つけることもあるかもしれない。

天皇家に生まれても、庶民に生まれても、どんな選択をしたとしても、今の自分の置かれた状況で、楽しむ術を持っていれば、案外、どこにいても幸せでいられるのかもしれない。


かもしれないとしか言えないのは、全部、これは私の頭の中で考えたことだから。

確信も確証もないけど、誰かにシェアしたくて、こうして今日もブログを書いている。





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私が割と人間関係で悩むことが多いのは、

私が人間関係が下手なのではなくて、

全人類、普遍的に人間関係で悩んでいるから。

なので特別なことじゃないみたいです。

こんな記事を書いてますが。


みんなから好かれようとせず、大事な人を大切にって話ですが。



本当に多くの人が、人間関係で悩んでますね。


人は一人では生きていけないっていうけど、本当だと思う。

一人であったかいお風呂に入っている時も、炊き立てご飯を食べている時も幸せを感じる。

だけど、仲のいい人と側にいると、また別の種類の幸福を感じている。

安心感?

ある研究では、人の幸福を決めるものは、結局、良好な人間関係であると発表している。
お金でも、地位でもなく、良好な人間関係。

人間は周りの人と協力して、人の中にいることで、生き延びてきた。

一方で、邪魔だ、不要だと判断されれば、仲間から殺される危険もあった。

人に助けられ、殺される。

今の時代は、突然、仲間から殺されるということはない。

でも、無視やいじめで、深く傷つくのは、太古の脳が、仲間はずれにされると危険であると、過剰に怯えるから。

だから、誰かと一緒にいると、安心するし、仲間はずれにされると、傷つく。

「どうせ、赤の他人じゃん?」

って、開き直れればいいのにね。

人間関係で苦しめられ、人間関係で癒される。

だから、今ある周りにある大事な人間関係は大切にしようと思う。

自分のためだけに使う時間とお金は、案外、味気ないものなのは、だからなんだろうね。



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前までの私は、割と他の人の言動が気になって、しょうがなかった。

あちこちの人間関係で、

「どうしてLINE返信くれないんだろう」
「なんでそんな言い方をするんだろう」
「もうちょっと、こうしてくれたらいいのに」

などなど、ちょっとしたモヤモヤ。

自分のことは棚に上げて、相手に対する不満を悶々と抱えて生きていた。


でもある時、

10人の人がいたら、
2人はあなたのことが好きで、
6人はあなたのことが好きでも嫌いでもなく普通で、
2人はあなたが嫌い


という文章を、ふと思い出した。

過去に、本でも動画でも、何度も耳にしたことのある格言。

今までは通り過ぎてきたけど、職場にどうしても感じの悪い苦手な人がいて、その人のことを考えた時、この文章がようやく腑に落ちた気がした。

ああ、この人は、私のことが普通、もしくは嫌いな人なんだな。

そう思うと、その人のために悩む心のエネルギーがすごく無駄に思えて、割とどうでもよくなった。

雑な扱いをしてくる人にとって、私は普通か嫌いのカテゴリーに入っている。
それを変えようとは思わない。

私は自分の大切な時間を、私を好きでいてくれる2人のために使う。

誰からも好かれようとしない。
ほどほどの人間関係さえあれば、まあまあ生きていける。

そう思うと、また生きるのが楽になった。


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最近、思うこと。

本当に必要なのは、お金じゃなくて、時間なんだなって思った。




お金がいくらあっても、友達と遊ぶ時間や、ゆっくり本を読む時間、料理をする時間、寝る時間がないと、不幸だ。

だから、最近、時間的に心の余裕を持つことを心がけている。

物理的に時間は1日24時間以上、増やすことはできない。

だから、「焦る」ことをできるだけ減らしている。

例えば、車の運転。

前の車が右折で止まってしまったために、信号に引っかかった。
イライラする場面だけど、焦ったところで、何も変わらない。
そして、案外、先に進んだ車も、前の信号で引っかかってたりする。

たかが数十秒のタイムロスで、焦ってイライラして自分の心を疲れさせることはない。
時にイライラが、思わぬ事故につながることだってある。
運転中は、安全運転を第一に考える。

それに、思っているほど私は時間に余裕がある。

積み上げられたタスクに圧倒しそうになるけど、案外、一つ一つはすぐ終わる。

シンクの食器も、やり始めれば、すぐに終わる。
時計を見れば5分もかかっていない。

そうやって、やる前から「時間がない」という心の焦りを作り出すのではなく、一つ一つ、とにかくやり始めて、タスクを終えていけば、思っているほど時間はたくさんある。


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そして、生まれたたくさんの時間で、思いっきり贅沢に過ごすのだ。

だらだら漫画を読んだり、ネットサーフィンをしたり、気の向くまま本を読んだり、ストレッチしたり。


少しも生産的じゃなかったなーなんて、後悔などせず。
自分がダラダラ過ごすことを、許してあげる。

それが心の余裕を生み出すんだなと、最近感じている。



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本当に欲しいものって、結局、お金では買えないんだなぁって、改めて思いました。

健康も家族も友情も能力も。

アトピーを繰り返していた頃は、ツルツルの肌が欲しくてたまらなかった。
でも、そんな肌はどうしたって、手にいれることはできないのです。
薬である程度はマシになっても、食生活の乱れやストレスで繰り返すアトピー。

食生活と環境の変化で、今はかなり良くなりました。

暖かい家庭も、いざという時に助けてくれる友人も、料理ができるとか、車の運転ができるとか、日本語が不自由なく話せるという能力も、ちょっとしたことでイライラしない性格も、人と仲良くできる能力も、お金をポンと払って、はいどうぞと買えるものじゃない。

もちろん、お金を払えば、そういうものを提供してくれたり、教えてくれるサービスもあるけど。

その能力を身につけられるかは自分次第。
望む人間関係を得られるかは、自分次第。

どんなにお金を積んでも、東大に入れない子は入れない。
お金による関係は、お金がなくなれば消えていく関係。

世の中、お金が全てっていうけど、結局、そのお金をどう使うかなんだなぁ。

穏やかな家族との関係も、高校卒業以来続いている友人関係も、今の自分でいいと思える考え方も、学び続けたいという向上心も、お金で買ったという感覚はない。

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今までの経験や学んだことで得てきた、今の自分。

一時、周りに影響されて欲しいと思った服や靴、鞄。
今は残ってもいない。

でも、家族や友だちと過ごした時間は、心の中に残っている。


そういう目に見えない、大切なもにお金を使いたいなと思ったのでした。






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友だちが、彼氏から別れたいと言われたそうです。
大変、ご立腹の様子で、友だちはこう言いました。

「今まで、ご飯作ってあげたりしてきたのは、なんだったっていうのよ!時間と労力を返してほしい」

さっさと別れて、忘れてしまえばいいのに、ただじゃ別れないと、息を巻いていました。
惚気話も散々聞いてきた身としては、あまりの豹変ぶりに何も言えません。
あんなにラブラブだったのに、少し残念な気持ちでした。

そんなことがあってから、本で見つけた言葉。

「愛とは決して後悔しないこと」
(映画「ある愛の詩」エリック・シーガル)

「これだけのことしたんだから」
と見返りを求めてしまうのは、結局、自分のためだったってこと。

我が子に「せっかく塾へ行かせてやったんだから」
恋人に「せっかく有給取って、一緒に旅行へ来てるのに、なんで楽しそうにしないの?」
「せっかく時間とお金をかけておしゃれしてるのに、何も言ってくれないの」

などなど思ってしまうのか。

「せっかく」と言う言葉が思わず出てしまったら、それは愛でなかうて、自分のため。

相手のためにしてあげたつもりでいて、本当は見返りを求めているだけ。

愛と恋の違いって、案外、そういうことで判断できるんだろうな。

もちろん、すべての人間関係を愛だけで結ぶことなんて、できない。

でも、ごく一部の大切な人とは、自分のためじゃなくて、愛でもって接したいと思う。

自分のための打算ではなく、後悔しないでいられる関係を、せめていくつか持っていたい。

本当に大事で愛している人なら、毎日、元気で生きていてくれるだけで嬉しいし、一緒にいるだけで幸せな気持ちになると思う。

たとえ、その関係が終わったとしても、その時も気持ちに嘘偽りがなかったら、後悔せず「今まで、あありがとう」って、思えるんだろうな。




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