くろまめのひとりごと

地方在住くろまめ。1児の母。もうすぐアラフォー。頑張りすぎないをモットーに家事育児してます
捨てられない一族の元で生まれ、捨てられない一族に育てられる。
その後、ミニマリストもどき→シンプルライフ目指す

2019年09月


エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んだ。

一度では理解できないから、何度も読みたい本だ。

わたしたちは、恋愛というものがとても素晴らしいという洗脳を日々受けている。
小学生の頃、友だちの読んでいる少女漫画は恋愛ばかりで、クラスの誰がかっこよくて好きだというのを決めるのが、流行りみたいになっていた。

歌や映画、小説。フィクションだけでなく、芸能人の色恋沙汰。
恋愛は人々が特に好む題材だ。

愛についても、人々は語る。
親子愛、母性愛、父性愛、兄弟愛、異性愛。

Love 愛 と気安く語られる、それは一体、何なのか。

わたしたちは、誰からも教わらない。

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愛と見せかけのナルシシズムと自己中心主義であることもある。

「愛しているよ」は「私を愛してくれているあなたを愛している」という、条件付きの愛ということもある。

ただ1人の人を愛することが、純愛と語られることもあるけれど、それは本当なのか。

愛されるから愛するのか、愛するから愛されるのか。

愛する、とはどういうことなのか。
あまりにも、安易に語られる愛を改めて深く深く考えさせてくれる本でした。



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学生時代、勉強が好きだった。
どの教科もまんべんなく好きだった。

理系コースだから、生物化学は当然だが、古典や英語、社会科、歴史も好きだった。
知らないことを知るのは楽しい。世界が広がっていく感じがする。


同級生が「まじ、授業だるい〜」と言っている横で、嬉々として学んでいた。
でも、受験戦争が嫌いで、偏差値を上げる努力はしなかったので、偏差値は平凡だった。
受験は推薦で乗り切った。

一時期、手に職をと思って、専門学校への進学も考えたけれど、結果的に大学でよかったと思っている。

学部に関係なく、色んな講義を受けて、色んな人と出会った。
就職とは全く結びつかなかったけれど、いい選択だったと思っている。

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学生でなくなって、10年以上が経っている。
もっと勉強していたくて、大学院進学も考えた。
でも、私たちは今、どこにいてもどんな立場でも、自由に学ぶことができる環境にある。

図書館へ行けば、山のように本があって、好きなだけ読めるし、図書館にない本は他の図書館から取り寄せてもらうこともできる。

インターネットでは山のような情報に触れることができ、大学の無料の講義も視聴できる。

人はいくつになっても意志さえあれば、学ぶことができる。

日常を過ごしながら、遠い歴史に思いを馳せたり、外国語の不思議な響きに感動したり、偉人たちとおしゃべりしたり。

そうやって、私の世界はこの日常にありながら、どんどん拡張していく。



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パソコンの立ち上がりが遅くなって、なぜかlivedoorブログのアプリが動かなくなって、「書きたいこともないし、ま、いっか」で、しばらく放置していたブログ。

最近、やっぱり、考えたことを誰かに読まれる前提で整理して文章化するのって、自分の心の整理にもなるなぁと思い、また、過去のブログを読んで、こんなこと考えてたのかぁと、新鮮な気持ちになって、やっぱり、ブログを書きたいと思い、諸々の問題を解決して、再びブログを書き始めました。

実際、とても心の整理になっている。
誰にも読まれない前提の日記と違い、文章に起こすことは、他者からみても論理的である必要があるから、客観的に冷静に分析することができる。

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あと、私が何か調べ物したいときに、インターネットで検索をかけた時、たまたま誰かが書いたブログに辿り着いて、たまたまそこに書かれた言葉に励まされたり、新たな視点をもらったり、面白そうな本を紹介されたり、なにかきっかけを与えてもらうことがあった。

見ず知らずの人に、励まされたり、アドバイスをもらったりする。そんな可能性をブログは持っている。

私も僭越ながら、拙い文章でも、いつかたどり着いた誰かの心を一ミリでも幸せにできたら、それは素敵なことだと思った。





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さみしさを埋め合わせるための友だちって言葉をどこかで聞いて、それについて考えてみた。

自分の寂しさを埋め合わせるために、友だちと会って、騒いで、過ごす。

寂しいから、LINEで何気ないやりとりを求め、それが途切れると不安になる。

人間は寂しい生き物だから、お互いに支え合って生きていくのは、悪くないかもしれない。

でも、1人になった時、孤独感や、もっと一緒にいたいという渇望感に苛まれる。

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実際、わたしには寂しいから誰かと会いたいという気持ちは、どこか仄暗い感じがするのだ。
相手を利用しているような、後ろめたさがある。

純粋に、彼女や彼の元気な顔を見たい、会いたいなぁと思う時は、そんな後ろめたさもない。

もちろん、これはこっち側の心の問題でしかない。

「今度の日曜、空いてる?ランチ行こうよ〜」と、聞かれた側は、ただ、ランチに誘われたことでしかないから。

完全に私の心の中の問題だ。

寂しさを埋め合わせるため、なのか、純粋に会って、元気な姿を見たいのか。

その線引きは曖昧なのだから、どっちでもいいじゃないか、と言う人もいるかもしれない。

でも、毎週のように会ってないと、LINEやメールでやりとりしていないと、寂しいという自分の弱さが、たまらなくなる。

それは、その時の自分が好きになれてないから。
誰かにすがって、自分の存在を認められたいから。

孤独でもいられるとき。
これが、自分を愛するということなのかと考える。


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図書館で面白い本を見つけた。

「自分が絶対正しい!」と思っている人に振り回されない方法
片田珠美(精神科医)著


『!』がつくあたり、自分が絶対に正しいと思い込んでる強さを表している。
本当にそう思っている人は、微塵も自分の意見が間違っている可能性を信じない。

こういう本をつい手にとってしまうのは、現在、自分がそういう人に悩まらせれているからに他ならない。

事実、悩まらせれている。

譲歩しない、相手の気持ちがわらない、理解しようとしない、残念な人。

そんな人たちは、自分が絶対に正しい!って、言い張ったとき、もしもそれが間違っていた時、気まずさや、恥ずかしさを、感じないのだろうか??

驚くべきことに、感じない人もいるのだ。
「あ、すみません、間違ってました」
と、潔く言える人なら、まだいい。

「そんなこと、言ったっけ?」
ととぼけたり、
「そんなこと、ないでしょ?!」と逆ギレされたり。

なかなか厄介な人が世の中にはいる。

決めつけられて、強引に押し付けられて、意見を通されて、なんだかモヤモヤしてしまう。
そして、間違ってたら、とぼけるor逆ギレ。

そういう人とは、距離を置けばいいのだけれど、そうはいかない場合もある。

そういえば、幼少期の母親もそうだっけ。
私の話を聞こうとせずに、自分の意見が正しいと思っていた。

今は私も大人なので、自分の意思で距離が置けるし、母親も年老いて、少しは丸くなった。

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そんな『「自分が絶対正しい!」と思っている人』の深層心理を理解すると、多少、心穏やかになる。

「自分が絶対正しい!」と思っている人は、3タイプあるらしい。

1.利得型
2.自己愛型
3.否認型

1.利得型
自分の得になるように、物事を運ぼうとする。
「あなたのためにやってるのに!」と言いつつ、実は自分のためだったりする。
無意識にやってる人もいれば、自覚して、自分の利益のためになるように振る舞う人もいる。

2.自己愛型
プライドが高い。自分を上、相手を下に見ている。人の話を聞かず、自分語りをして、自分の正しさをアピールしたい。

3.否認型
自分側の欠点や瑕疵、悪いところを相手に投影して、それを攻撃、否定する。
陰口三昧だけど、本当は自分の中にコンプレックがある。

ざっくり、こんな分類学ができるそうです。

もし、自分が絶対正しいと思い込んでる人に振り回されそうになったら、
「この人は、否認型と自己愛型だな…」という風に、分類すると少し冷静に見られる。

あー、この人は心にトラブルを抱えているだなぁ、と。

世の中、完璧な人はいない。
みんなコンプレックを抱え、必死で生きてます。

自分も逆に正しさを押し付けていないか?そう立ち止まって考えられるようになるための本でもあります。



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読書の秋が来た。


本の虫である私は、年中読んでいる。


「本なんて、読まなくて〜」って、言う人もいるけど、すごくすごくもったいないなぁと思う。

人間の時間には限りがある。
一日は24時間で一年は365日。
限られた時間の中で、仕事したり、ご飯食べたり、寝たり、友だちとくだらない会話で盛り上がったり。

そんな時に、ふと考える。

全然違う仕事をしている自分。
全然違う人と結婚した自分。
全然違う国に住んでいる自分。
全然違う時代を生きている自分。

そんな自分を擬似的に体験できるのが、物語だったりする。

伝記を読みながら、ヘレンケラーになったり、アインシュタインになったり。

自分の人生を生きながら、ほかの人生を体験できるって、なかなか美味しいことじゃないかしら。

(もちろん、映画とか漫画で擬似的に体験もできるけどね。私は活字派)


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科学や歴史といった、先人たちが時間をかけて、血の滲むような努力をして集めたことを、図書館へ行けば簡単に得られる。

それを思うと、ちょっと、いや、かなり感動する。

今はもっと、お気楽で脳をバンバン刺激して、アドレナリンを出してくれる娯楽がたくさんあるけれど、どうも、そういった類の娯楽には興味がもてない。

歴史や科学は、知れば世界の見方が激変することもある。
その驚きと感動が、癖になって、もっとたくさん知りたくて、今日もまた、図書館へ通う。


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